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2005.02.25

「邪馬台国」机上の私論:009

(2005年3月2日訂正、下線部) 目次

資料001:魏志倭人伝(「紹興本」の影印より)

注記部は省いて、その替わりとして「*印」および算用数字で埋めて記載。
元の版型の1行19文字に従うが、横書きに改めた。
なお、変換不可能文字及び不鮮明文字は、
本私論での推定漢字の画像に置き換えている。


倭人在帶方東南大海之中依山島爲國邑舊百
餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國從郡至
倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪
韓國七千餘里始度一海千餘里至對馬國其大
官曰卑狗副曰卑奴母離所居絶島方可四百餘
里土地山險多深林道路如禽鹿徑有千餘戸無
良田食海物自活乘船南北市糴又南渡一海千
餘里名曰瀚海至一大國官亦曰卑狗副曰卑奴
母離方可三百里多竹木叢林有三千許家差ゆう
田地耕田猶不足食亦南北市糴又渡一海千餘
里至末盧國有四千餘戸濱山海居草木茂盛行
不見前人好捕魚鰒水無深淺皆沈没取之東南
陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄
渠觚有千餘戸世有王皆統屬女王國郡使往來
常所駐東南至奴國百里官曰じ馬觚副曰卑奴
母離有二萬餘戸東行至不彌國百里官曰多模
副曰卑奴母離有千餘家南至投馬國水行二十
日官曰彌彌副曰彌彌那利可五萬餘戸南至邪
馬壹國女王之所都水行十日陸行一月官有伊
支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳てい
七萬餘戸自女王國以北其戸數道里可得略載
其餘旁國遠絶不可得詳次有斯馬國次有巳百
支國次有伊邪國次有都支國次有彌奴國次有
好古都國次有不呼國次有姐奴國次有對蘇國
次有蘇奴國次有呼邑國次有華奴蘇奴國次有
鬼國次有爲吾國次有鬼奴國次有邪馬國次有
躬臣國次有巴利國次有支惟國次有烏奴國次
有奴國此女王境界所盡其南有狗奴國男子爲
王其官有狗古智卑狗不屬女王自郡至女王國
萬二千餘里男子無大小皆黥面文身自古以來
其使詣中國皆自稱大夫夏后少康之子封於會
稽斷髮文身以避蛟龍之害今倭水人好沈没捕
魚蛤文身亦以厭大魚水禽後稍以爲飾諸國文
身各異或左或右或大或小尊卑有差計其道里
當在會稽東治之東其風俗不淫男子皆露けい
木緜招頭其衣横幅但結束相連略無縫婦人被
髮屈けい作衣如單被穿其中央貫頭衣之種禾稻
紵麻蠶桑緝績出細紵けん緜其地無牛馬虎豹羊
鵲兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鐵鏃或
骨鏃所有無與たん耳朱崖同倭地温暖冬夏食生
菜皆徒跣有屋室父母兄弟が息異處以朱丹塗
其身體如中國用粉也食飮用へん豆手食其死有
棺無槨封土作冢始死停喪十餘日當時不食肉
喪主哭泣他人就歌舞飮酒巳葬舉家詣水中澡
浴以如練沐其行來渡海詣中國恒使一人不梳
頭不去きしつ衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人
名之爲持衰若行者吉善共顧其生口財物若有
疾病遭暴害便欲殺之謂其持衰不謹出眞珠青
玉其山有丹其木有ねん杼豫樟楙櫪投橿烏號楓
香其竹篠かん桃支有薑橘椒じょう荷不知以爲滋味
せん猴黒雉其俗舉事行來有所云爲ちょう灼骨而
卜以占吉凶先告所卜其辭如令龜法視火たく
兆其會同坐起父子男女無別人性嗜酒*1*
*****見大人所敬但搏手以當跪拜其人
壽考或百年或八九十年其俗國大人皆四五婦
下戸或二三婦婦人不淫不妬忌不盜竊少諍訟
其犯法輕者没其妻子重者滅其門戸及宗族尊
卑各有差序足相臣服收租賦有邸閣國國有市
交易有無使大倭監之自女王國以北特置一大
率檢察諸國諸國畏憚之常治伊都國於國中有
如刺史王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭
國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得
差錯下戸與大人相逢道路逡巡入草傳辭説事
或蹲或跪兩手據地爲之恭敬對應聲曰噫比如
然諾其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂
相攻伐歴年乃共立一女子爲王名曰卑彌呼事
鬼道能惑衆年巳長大無夫壻有男弟佐治國自
爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有男子一
人給飮食傳辭出入居處宮室樓觀城柵嚴設常
有人持兵守衞女王國東渡海千餘里復有國皆
倭種又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四
千餘里又有裸國黒齒國復在其東南船行一年
可至參問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周
旋可五千餘里景初二年六月倭女王遣大夫難
升米等詣郡求詣天子朝獻太守劉夏遣吏將送
詣京都其年十二月詔書報倭女王曰制詔親魏
倭王卑彌呼帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升
米次使都市牛利奉汝所獻男生口四人女生口
六人班布二匹二丈以到汝所在踰遠乃遣使貢
獻是汝之忠孝我甚哀汝今以汝爲親魏倭王假
金印紫綬裝封付帶方太守假授汝其綏撫種人
勉爲孝順汝來使難升米牛利渉遠道路勤勞今
以難升米爲率善中郎將牛利爲率善校尉假銀
印青綬引見勞賜遣還今以絳地交龍錦五匹*
2*************絳地すうけい
十張せん絳五十匹紺青五十匹荅汝所獻貢直又
特賜汝紺地句文錦三匹細班華けい五張白絹五
十匹金八兩五尺刀二口銅鏡百枚眞珠鉛丹各
五十斤皆裝封付難升米牛利還到録受悉可以
示汝國中人使知國家哀汝故鄭重賜汝好物也
正始元年太守弓遵遣建中校尉梯儁等奉詔書
印綬詣倭國拜假倭王并齎詔賜金帛錦けい刀鏡
采物倭王因使上表荅謝詔恩其四年倭王復遣
使大夫伊聲耆掖邪狗等八人上獻生口倭錦絳
けん緜衣帛布丹木ふ短弓矢掖邪狗等壹拜率
善中郎將印綬其六年詔賜倭難升米黄幢付郡
假授其八年太守王こん到官倭女王卑彌呼與狗
奴國男王卑彌弓呼素不和遣倭載斯烏越等詣
郡説相攻撃状遣塞曹掾史張政等因齎詔書黄
幢拜假難升米爲檄告喩之卑彌呼以死大作冢
徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人更立男王國中不
服更相誅殺當時殺千餘人復立卑彌呼宗女壹
與年十三爲王國中遂定政等以檄告喩壹與壹
與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政
等還因詣臺獻上男女生口三十人貢白珠五千
孔青大句珠二枚異文雜錦二十匹


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2005.02.21

「邪馬台国」机上の私論:008

(2005年3月28日訂正、下線部) 目次

第一章.「魏志倭人伝」とは

三.「邪馬台国」検討のための基本文書の選定について

 これまでの邪馬台国論において、検討対象とされた「魏志倭人伝」は、主として「紹興本」と「紹煕本」が用いられてきた。本私論においても、両文書を基本文書とし、その他インターネット上にて閲覧可能な書籍・文書を参考に検討を進めていくことにする。

 なお、その両文書は、
サイト「大論争」の基礎資料(魏志倭人伝)ページ
http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/page01/a003.html
に掲載の写真画像を元に、本私論独自に作成した文書を活用するものとする。また、掲載画像の「紹煕本」とされるものの出典が不明のため、「紹煕本」とされるという意味で「{紹煕本}」と、これ以後は記載する。

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2005.02.18

「邪馬台国」机上の私論:007

(2005年2月21日改訂、下線部) 目次

表−1 魏志倭人伝(「三国志」)関連書籍略年表

書籍名年代中国王朝名
史記前91年頃前漢
漢書82年頃後漢
三国志3世紀末西晋
三国志裴注429年南朝宋
後漢書432年頃南朝宋
宋書488年南斉
梁書636年
隋書636年
晋書648年
北史659年
翰苑660年頃
古事記712年
日本書紀720年
通典801年
旧唐書945年後晋
太平御覧983年
新唐書1060年
三国志「紹興本」1162年
三国志「紹煕本」1194年



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2005.02.13

「邪馬台国」机上の私論:006

(2005年3月28日改訂、下線部) 目次

第一章.「魏志倭人伝」とは

二.「三国志」の編纂と、その前後の関連書籍について

 「魏志倭人伝」を含む「三国志」の成立前後に出された関連書籍の状況を、諸研究の到達に沿って概要を見ていく。「魏志倭人伝」を読み解く上で大事な資料となる。

「三国志」の編纂前の歴史書
  「三国志」に先行する歴史書については、「史記」・「漢書」・「魏書」・「魏略」・「魏史」・「呉書」などがあり、陳寿も編纂の際に参考にした可能性は高いと思われる。

「三国志」の編纂
 「三国志」は、西晋の時代の太康年間(編年:280〜289年)にかけて陳寿により編纂されたと言われている。なお、陳寿の自筆本(原本)は現存しないとされている。 

「三国志注」の完成
 宋の時代(429年)に、裴松之により「三国志」の「注」が完成。この「注」を含む「三国志」がその後、歴代王朝によりいくつかの木版本が刊行される。

「紹興本」について
 前記の木版本の一つの「紹興本」が、南宋時代(編年:1131年〜1162年)に刊行された。現存最古のものとされている。

「紹煕本」について
 前記の木版本の一つの「紹煕本」が、南宋時代(編年:1190年〜1194年)に刊行された。現存しておらず、この系譜をひく「慶元版」(編年:1195年〜1200年)とも言われるものが現存している。なお、「紹煕本」の写真画像とされているものは、この「慶元版」であると思われる(本ブログ注)。

「三国志」の編纂後の書籍
 「三国志」編纂以後に出された書籍には、「後漢書」・「梁書」・「晋書」・「隋書」・「北史」・「翰苑」・「通典」・「太平御覧」などがある。「三国志」からの引用を記載しているものもある。

「三国志」関連の倭側の書
 「三国志」以降に成立した倭側の書として、「古事記」「日本書紀」などがある。「三国志」を参考にした可能性がある。



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2005.02.12

「邪馬台国」机上の私論:005

(2005年3月28日訂正、下線部) 目次

第一章.「魏志倭人伝」とは

一.「魏志倭人伝」の呼称について

 「邪馬台国」論の始まりも、先人諸氏が拠り所とする文書も、一般に「魏志倭人伝」と言われている文書である。しかし、周知の通り「魏志倭人伝」は、ある文書(史書)の全体から見て、ごく僅かな部分を占めるに過ぎない文章である。

 また、その文書は一般に「三国志」と言われているが、その写本の編纂時に「三国志」呼ばれるようになったと言う説もあり、元々の著者とされる陳寿が、その全体を「三国志」と題したかどうかは定かではない。

 この様な事情や、元々の文書が句読点や表題もない(?)極超長文と言われるような形態であることもあり、「魏志倭人伝」の詳細な呼称は幾つかあるが、広く使われている名称として「三国志魏書巻三十烏丸鮮卑東夷伝倭人(の条)」を例示しておく。

 なお、本私論では、以上の事をふまえた上で、万人の知るところの「魏志倭人伝」の呼称を使用していく事とする。



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2005.02.11

「邪馬台国」机上の私論:004

(2005年2月11日掲載) 目次

参考サイト(ページ)

凡例(順不同)
サイト(ページ)名
 ソース(TITLEタグ)に記載のタイトルを基本とし、不明の場合は当方の責任で掲載。
URL
 参考時(下記)の時点でのURL
掲載日
 該当サイト(ページ)を本ページに掲載した日

中村学園大学図書館
http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/
2005年2月11日

ALEXの書斎
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/genkan/index.html
2005年2月11日

日本建国史(大和王権成立の時)
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/index.html
2005年2月11日

古代史獺祭
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/index.htm
2005年2月11日

邪馬台国とは何だろうか?
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/index1.html
2005年2月11日

邪馬台国の研究
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rendaizi_yamataikokunokenkiyu.htm
2005年2月11日

古代史
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/
2005年2月11日



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2005.02.10

「邪馬台国」机上の私論:003

(2005年3月28日改訂)

目次

ことはじめ

掲載心得
 方法論/計画概要

参考サイト(ページ)

第一章.「魏志倭人伝」とは
 一.「魏志倭人伝」の呼称について
 二.「三国志」の編纂と、その前後の関連書籍について
  表−1 魏志倭人伝(「三国志」)関連書籍略年表
 三.「邪馬台国」検討のための基本文書の選定について
  資料001:魏志倭人伝(「紹興本」の影印より)
  資料002:魏志倭人伝(「{紹煕本}」の影印より)
 四.「紹興本」と「{紹煕本}」について
第二章.「魏志倭人伝」に於ける「倭」
 一.「魏志倭人伝」に出てくる国名及びそれに準じた表現



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2005.02.08

「邪馬台国」机上の私論:002

(2005年2月10日改訂、下線部) 目次

掲載心得

 「邪馬台国」机上の私論を不定期連載するに当たり、基本的な私論構築の方法論、私論構築の計画概要などについて、まず最初に明示しておく。(後日、改訂時にこの記事に於いて更新の予定。)

方法論(2005年2月10日現在)

私論構築のための原資料については、インターネット上にあるサイトのページを参考にする。

各サイトの資料価値の評価においては、公的サイトと私的サイトの区別はしない。

その原資料の妥当性の判断は、主として複数サイトの比較検討により判断をする。

「邪馬台国」の比定を目指すが、結果として比定不能になる場合においても、この様な研究の方法論の存在提示ができれば良しとする。

「物事の発展を対立物の闘争として捉える。」による方法論を、可能な限り様々な検討対象に対して、機械的に適用して考える事を試みる。(その方法論の正否を確かめることではなく、その事により新たな発想が生まれれば良しとする。)


計画概要(2005年2月10日現在)

いわゆる「魏志倭人伝」そのものについての吟味・検討

「魏志倭人伝」記載の事項と、これまでの科学的成果との整合性の検討
例えば、各国名の比定、各国の位置比定、銅鏡問題などなど

以上を当面の課題とするが、これとて先人による膨大な研究があり、そのすべてを遂行できるかは保証の限りではない。

また、検討順序及びその結果のサイト掲載の順序は、必ずしも「魏志倭人伝」の叙述順序とは一致するものではない。

検討結果については、適時、本サイトにて掲載。なお、私的都合により長期中断及び中止もあり得る。
(検討結果は、その時点での私論の到達点であり、その後の進行により訂正・破棄もあり得る。)

検討の進行に応じて、掲載済みの事項について改訂を随時行っていく。最新の改定点については下線を付し明示する。

注) 本ブログは、コメントは受け付けておりますが、必ずしもご返事はできるとは限りませんので、あらかじめご了承下さい。よって、ご異論についての反論も基本的にはいたしませんので、できますればご異論につきましてはご容赦願えれば幸いです。



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2005.02.05

「邪馬台国」机上の(デスクトップ)私論:001

(2005年2月10日改訂、下線部) 目次

ことはじめ

 「邪馬台国」に関して、ズブの素人から学者まで様々な論文・エッセイなどが、巷には数多く存在する。それは、肝心の「邪馬台国」が発見されていないからだ。その本当の読み方さえ「確定」してはいないのだ。

 もともと、「邪馬台国」と言う国名は、「魏志倭人伝」という二千字余りの古文書、それも原本ではなく後世の人々により写し取られた写本に記載されているに過ぎない。しかも、日本の文献ではなく外国の文献だ。

 そうした不確かな事が、ある意味では素人と玄人が、少なくとも私的な意見としては対等に論を闘わせる背景を作っている。おそらく、こうした状況は「邪馬台国」の考古学的物証が得られない限り、続いていくだろう。

 そうした状況の下、若い頃から考古学に関心を寄せていた事もあり、その論争の極々末席に加えていただこうと、当私論を展開する運びとなった。

 ただ、金無し暇無し、なおかつ才無しの凡人の為せる業、文献を購入してのつぶさな研究、候補地へ訪れての現地調査は、はなはだ難しい。

 そこは、インターネットが盛んなご時世、私見の拠り所を主としてネットがもたらす情報だけを駆使して、この大それた挑戦を開始する事にした。

 ネット情報は、その真偽をはかるのは、それなりの技量・知識などがいるが、そのレベルにあるかどうかの自信もない。だから、その事を考慮されてのおつき合いをお願いする。

 なお、自宅のデスクトップパソコンを駆使し、全くの個人的な思いつきに過ぎない私論を綴っていく意味から、『「邪馬台国」机上の(デスクトップ)私論』と表題を設定した。また、ネット調査・推敲などにより、掲載が極めて不定期になるので、ご了承願いたい。

 このつまらないであろう「私論」が、万が一でも真の「邪馬台国」「卑弥呼」などの比定に、貢献できれば一考古学ファンとして、これ以上の幸せはないだろう。



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